長野市に暮らし始めて一人でカフェに入ったりランチを食べたりすることも何度か経験した。
一人でカフェに入ったりするのが比較的苦手な私。
プランターコテッジに一人で訪れてくれる人で「勇気をふりしぼって初めて来ました~」という人は本当にすごい!と思う。(ありがとうございます。)
プランターコテッジはカフェというわけでも店というわけでもないし、なかなか得体の知れない場所なので一人で入るのはやはり勇気がいると思う。
カフェで居心地がいいのは、やはり店主さんとの距離がほどよい関係のところ。
いろいろ話かけられても困る時もあるし、かといって全く話かけられないのも寂しい気もするし。
こちらに来て感じるのは、基本的に長野の人は愛想がないので余計な話しかけはない。
でも、適度に声をかけてくれたりもする。
と、意外と理想的なカフェやお店が多かったりするのだ。
しかし、娘曰く、お風呂やさんや善光寺界隈は別。
長野のおばちゃん、おやじは余計な話しかけだらけらしい。(笑)
たとえば学校の帰り善光寺の参道を歩いていると『お譲ちゃん、何年生?』と、おやじが聞いてくるらしい。
『1年生』と娘が答えると、『やっぱり、そうか~。』と、おやじニコニコ。
娘は「やっぱりそうか~って言うんだったら、聞かないで欲しいんだよね。何人もそういう人いる。」(笑)
たとえばお風呂屋さんで。
娘がぬいだ服を丁寧にたたんでいると
『あんた、几帳面だね~』と、おばちゃん。
『あんた、A型でしょ。』と、おばちゃん。
『。。。O型です。』と、娘。
「も~。何人もそういう人いる。」と、娘は嘆く。(笑)
確かに東京だと、おばちゃん、おやじでもそんなに娘に話しかけてくる人はいなかった。
こちらは、若い人と年齢が上の人とのギャップが激しい。(笑)
しかし、よくよく考えると娘は明らかに長野のおばちゃん&おやじに近い。
よく人に「ねえねえ、何型?」と聞いては、「やっぱり」と答えている娘。
人の世話をやくのも好きだし、しつこく聞いたりするところも、やはり似ている。
ヤッパリ、自分のことは見えないものだと妙に納得してしまう母だが、娘は私とそっくり。
いつか長野の若者のように、無愛想だけど程よく距離がとれるおばちゃんになりたいな~。